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日記を書き始めた理由

· 目標達成日記の話

自分を変えたかった。その思いだけで10年以上日記を書いてきた。

 

日記を書き始める前の私は、とにかく追い込まれると逃げるクセがあった。

 

高校時代を振り返ると、テストの前日の夜遅くなると、試験範囲が終わっていなくても、朝早く起きてやった方が良いと自分に言い訳して眠りにつく。朝5時の目覚ましの音をすばやく消して、何もなかったように寝てしまう。当日のテストはさんざんな結果だ。なぜ、勉強しなかったところがたくさん出るんだと思うことを繰り返した。

 

一番恥ずかしい逃げは大学入試の試験会場から試験途中で逃げ帰った時だ。最初の科目の数学の問題が難しすぎてほぼ白紙だった。自分が出来ないなら、他人も出来ないと思えるほどの努力の積み上げが無かった。私は次の英語の試験の前に、鞄に筆箱をしまい衝動的に試験会場を後にした。逃げだした後に、試験会場の人が困るかもしれない、そんなことなど考えることもなく逃げだしていた。なかなかの逃げっぷりだと思う。

 

その後も順調に逃げ続けながら生きてきた。そんな自分を変えたいという気持ちは全然起きなかった。逃げ続けられる限り、そしてどこかで捕まらないかぎり追い込まれるたびに逃げつづけただろう。

 

その日々もついに終わった。就職活動で捕まってしまった。逃げ続けた私に、本当の外の世界はやさしくなかった。面接を受けるたびに、「そんな成績の人間にこの仕事はできない。」「成績がわるい、努力できない人間はいらない。」汚い言葉を発してくる面接官達に怒りが爆発していた。人の事を悪く言う権利がどこにあるのだと憤ってもいた。でも、就職できないと社会に出られない。初めて逃げられない壁にぶつかった。

 

このとき、初めて逃げ続けたことを反省した。

 

きっと大学の成績がよければ、こんなひどい扱いを受けることもなかった。成績が良ければ、うちの会社に来てください。君のような人材を探していた。など言われていたに違いない。そういう求められるような人材になりたい。本当に逃げない自分になりたいと考えた。

 

そんな理想の自分になるために、自分にメッセージを送った。

 

「たった一歩を頑張る。たった一歩が未来を決める」

 

目指すべき目標は遙か先にあるが、逃げ続けた自分が一気に進もうとすると挫折し、変わることは出来ないと思った。そのため、自分ができるのは小さな一歩一歩を進めることだけ。だけれど、この小さな一歩の繰り返しが自分が望む未来が待っている。そう信じるぐらいしかあの頃の自分にはできなかった。

 

一歩一歩の小さな歩みでは変化を感じることが出来ない。それでは、また元通りのダメな自分に戻ってしまう。変化を記録する何かが必要だと考えて思い至ったのが日記だった。それは普通の日記ではなく、観察日記だ。普通の日記は続かないが、自分を観察して、気づいたことだけを書くだけなら続けられそうだと考えた。

 

朝6時に起きて学校にいけた。授業を最後まで寝ずに、ノートも全部とれた。その日の授業に全部出席できた。ときには、朝起きられずに学校にいけなかった。宿題を終わらすことができなかった。などマイナスなこともあった。けれど、少しづつその頻度が減っていき、マイナスな表現も普通の人も悩むようなものになっていった。それだけでも、俺普通になってきてると嬉しく思ったことも懐かしい。

 

いつも、頑張れない人ほど日記を書くことを進めるのは、このダメダメな日記が普通な人になり、時には、出来る自分のことを日記に書けたときの嬉しさは、ダメだったこその味わいである。普通の人より楽しいのである。

 

とくにお勧めしているのが3年日記である。

 

もし日記が一年続けば、ほとんどの人がもう2年書くことができる魔法の日記。3年日記は、一年書くと一周して、一年前の自分に出会える。一年前の日記に二年目の今日を書く。一年間の変化に驚いたり、変わった自分を褒めたくなるだろうし、3年書けば宝物になる。

 

そして、数年経つとその日記を読んだときに本当に自分なのかと疑うかもしれない。それが、日記を続けていく魔法になっている。